てぃーだブログ › A Cross-Roads of Okinawan Performing Arts:組踊の交差点 › 歌劇 › 伊良波尹吉生誕125周年記念名作歌劇「奥山の牡丹」公演

2011年10月06日

伊良波尹吉生誕125周年記念名作歌劇「奥山の牡丹」公演

9月30日(金)与那原町社会福祉センタにおいて,伊良波尹吉生誕125周年記念名作歌劇「奥山の牡丹」公演が開催された.

悲劇的な結末に終わる歌劇「奥山の牡丹」は,会場の人々と場面が変わるごとに感動:笑い,拍手,涙を共有していた.

作者伊良波尹吉は組踊「手水の縁」,「花売の縁」,「萬歳敵討」,「孝行の巻」等 の場面をうまく組み合わせて感動的な歌劇に創り変えている.この歌劇「奧山の牡丹」の公演について感想を述べる.

先ず,二名の歌三線の若い地謡は,淡々と,時には激しく,時には静かに,三線のみ,あるいは歌・三線で,この歌劇に相応しい唱と調子で心憎く演じていた.素晴らしい歌劇地謡を担っており,これから更に経験を積み重ね,新たな境地へと飛躍を期待したい.

立ち方の中で,山戸が,これまた心憎いほど余裕のある声と歌で観客を最後まで魅了し続けた.

チラ―,三良,そして総聞は,もう少し歌声に力強さが増せば,余裕のある,さらに感動的な歌になる.

馬舞者はボリュームのある声で観客を楽しませていた.

これまで歌劇と言うと,いつも聴きなれていた,聴く者の喉が苦しくなるほどのギリギリ高い声を思い出すが,まさにそのような歌で,アヤ―と乳母は,甲高い台詞とともに,笑いと涙の感動を呼び起こしていた.

これからは順次,新しい世代へと継承の役割を担う若い舞台女優は,女役を歌う際は,やはり歌劇なので,オペラにおけるソプラノ歌手の如く,余裕を持って熱唱できるよう声の鍛錬を積むよう望まれる.

惜しいことに,主の前の歌声は,あまりにもか弱く,ほとんど歌劇の歌にはなっていなかった.妾をとるほどの父親なので,若さはまだ少しばかりは残っているはずである.

観る者に感動を与えるには「作品が良いこと」と「出演者が良いこと」が要求される.今回の歌劇「奧山の牡丹」は会場全体を動かしていた.

歌劇「奧山の牡丹」

配役

勢頭の頭: 仲嶺 眞永
チラー: 伊良波 さゆき
三良: 佐辺 良和
主の前: 平良 進
アヤ―: 伊良波 冴子
妾:   中村 志津子
総聞:    嘉数 道彦
郎党: 天願 雄一, 西門 悠雅
京太郎: 真栄田 文子, 照屋 正江, 神谷 三千代
馬舞者: 仲嶺 眞永(二役), 高宮城 実人
山戸: 金城 真次
高良の父: 当銘 由亮
真玉津:  知念 亜希
乳母: 瀬名波 孝子

地謡

歌三線: 平田  旭, 喜納 吏一
笛: 入嵩西 諭



Posted by kariyushi-village at 22:52│Comments(0)歌劇
※このブログではブログの持ち主が承認した後、コメントが反映される設定です。
上の画像に書かれている文字を入力して下さい
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。